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和ろうそくの芯切り

洋ロウソクは、元々は蜜蝋でした。蜜蝋とは、読んで字の如く、ミツバチが巣を作るときに腹部から出す分泌物でできた蝋です。現在は、石油を精製するときにできるパラフィンが原料として使用されています。洋ロウソクの芯には綿糸などが使われています。

一方、和ろうそくはハゼノキやウルシから精製される木蝋(モクロウ)で作られます。木蝋が現れたのは室町時代とされていて、江戸時代に入って急速に普及したようです。

和ろうそくの芯は、綿糸ではなく、和紙を巻いたものにい草を巻きつけて作られます。洋ロウソクの芯よりも太く、なかなか燃え尽きません。このため時間の経過とともに炭化した燃え残りの芯が長くなり炎が大きくなってきます。あまり炎が大きくなると危険なので、芯切りをして炎を適度な大きさに調整する必要があります。
Core cutting
芯切り専用に、ピンセット様のものや、燃え残りを受ける円形の受け皿がついた文具様など様々な芯切ばさみが販売されています。一般的なハサミで代用してもまったく構いません。炎が大きくなってきたら、写真のように根元から適度な長さにチョキンと切り取ってください。


伊豆稲取: 雛のつるし飾り

ちょっと投稿の時期が遅くなってしまいましたが、雛祭り関連のトピックをひとつ。

雛のつるし飾り - Hina no Tsurushi Kazari私は畳の部屋で寝ていますが、枕元の壁に2月のある日から可愛いらしい人形がつり下げられました。気になって調べてみると、雛祭りに因む日本三大手芸と呼ばれているものがあることを初めて知りました。福岡県柳川の「さげもん」、伊豆稲取の「雛のつるし飾り」、山形県酒田の「傘福」だそうです。

枕元につるされていたのは、伊豆のお土産だと妻から聞いたので、伊豆稲取の「雛のつるし飾り」のようです。江戸時代から伝わるもので、長女の初節句に、無病息災と良縁を祈願してつるします。本来は、30cmほどの下げ輪に、170cmほどの赤い糸を5本つるし、それぞれの糸に着物のハギレで作った飾り人形が11個つけられます。これが雛飾りの両サイドにつるされます。

つるされる細工物には、桃(長寿)、猿(魔除け)、三角(薬袋・香袋)、巾着(金運)、柿(長寿・厄除)、ほおずき(女性のお守り)などがあります。

枕元のつるし飾り
本来のものは110種類も細工物がつけられ、豪華ですが、枕元のこのつるし飾りはシンプルで、とてもかわいい。わたしとしては、これだけで十分満足。

伊豆稲取温泉でもうすぐ終わってしまいますが、「雛のつるし飾りまつり」が 3/31 まで開催されています。

九谷焼、大正時代からの招き猫

はじめて見た時から「かっこいいな」と思っていました。この色、このデザイン。九谷焼窯元、長高郁夫さんに電話でお尋ねしました。この色柄は、大正時代、九谷焼ではじめて「招き猫」が登場してから続いてます、とのこと。つまり大正時代から続いた
Japan もう少し、Asia な招き猫、インテリア、ご贈答に如何でしょう。お値段は 3,000円から。ご購入はこちらからどうぞ!

招き猫の町「豪徳寺」

よく晴れた秋の平日、豪徳寺に行ってみようと新宿へ。

世田谷にある曹洞宗大谿山豪徳寺は彦根藩主井伊家の菩提寺です。桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼もここに眠っています。

江戸時代初期、当時まだ貧しい寺だった弘徳院(現在の豪徳寺)の和尚は猫を大変かわいがり、自分の食をけずってでも猫に与え、わが子のように育てていました。ある日和尚は猫に向かい「もし恩を感じてくれているのなら、福を運んできてくれないか」と言いつけます。

数ヶ月後の夏の昼下がり、寺に狩を終えた5、6人の武士が訪れます。和尚は奥へ招きいれ、接待し、心静かに説法をします。これに喜んだ内の1人、彦根藩2代目藩主井伊直孝はこれが縁でたびたび寺を訪れるようになります。やがて世田谷が井伊家の所領となったのを機に弘徳院が井伊家菩提寺となり、寺は繁栄します。

この貧しい寺の前を偶然通りかかった井伊直孝一行を、門の中に手を上げ招き入れたのが、和尚の愛猫でした。和尚はこれは猫が日頃の恩に報い、福を招いてくれたご利益だと喜び、後にこの猫の墓を建て冥福を祈り、後の世の人々にも、愛猫が門前でみせた手を上げ招き入れる姿を形にした人形を「招福猫児(まねきねこ)」と名をつけ祈ることで幸福が訪れるようにと祈願したそうです。

これが豪徳寺「招福猫児(まねきねこ)」物語。

普段けっこう招き猫のお世話になっているのに、豪徳寺には一度も行ったことがなかったな、などと考えながら車窓を眺めていると、小田急線豪徳寺の駅に到着。高架複々線化が完了した2階ホームからエスカレータで1階へ降り、改札口を出て左へ。豪徳寺商店街は通勤通学のラッシュの時間を過ぎ、落ち着いた空気が流れていました。昔ながらの商店街を歩いていると、

豪徳寺へ

豪徳寺へ

市場の看板に、銀行の出窓に、街灯の柱に、蕎麦屋の見本のわきに、「まねきねこ」の人形や絵を見つけました。なるほど「まねきねこ」の街。でもそれはさりげなく、この街に「まねきねこ」が浸透していることをうかがわせます。

豪徳寺の市場

豪徳寺の市場

豪徳寺へ:その2

豪徳寺へ:その2

しばらく歩いているとやがて豪徳寺の敷地の周回へ。閑静な住宅街の中にある大きな寺の敷地をグルッと半周ほどすると正門へ到着しました。うしろを振り返ると立派な松に囲まれた参道があり、敷地のまわりをめぐって来たので直接正門に着いたことに気づき、参道口方向へ歩き、参道から正門を眺めてみました。

豪徳寺参道

豪徳寺参道

豪徳寺門前

豪徳寺門前

豪徳寺門入る

豪徳寺門入る

歴史を感じさせる正門をくぐり敷地内に入ります。まず目に付くのは三重の塔、そして仏殿、本堂、建てられた時代は違うようですがそれぞれ落ち着いた風格があります。そして手入れの行き届いた庭。境内からは清潔感を感じました。

豪徳寺内

豪徳寺内

豪徳寺三重塔

豪徳寺三重塔

三重の塔のすこし奥に入ったところにある「招福堂」。門をくぐりお堂の左脇をさらに奥へすすむと、ひっそりと「招福猫奉納所」がありました。大小さまざまな大きさの「まねきねこ」が木の棚にぎっしり並んでいました。ひっそりと、静かに。

豪徳寺・招福堂入口

豪徳寺・招福堂入口

豪徳寺・招福堂1

豪徳寺・招福堂1

豪徳寺・招福堂2

豪徳寺・招福堂2

豪徳寺・招福堂3

豪徳寺・招福堂3

受付のまえに「まねきねこ」の看板が。おもえば豪徳寺境内唯一の絵看板です。このように、街中同様、豪徳寺境内でも「まねきねこ」はさりげなく。

豪徳寺・招き猫の看板

豪徳寺・招き猫の看板

受付で「まねきねこ」2号を購入しました。顔の小さな凛々しい猫です。これぞ由来の寺、豪徳寺の「まねきねこ」です。

豪徳寺・「まねきねこ」2号

豪徳寺・「まねきねこ」2号

もっと派手に宣伝しているのかと思っていましたが、さにあらず。「まねきねこ」はその由来とともに、質素にそして大切に守られています。うーん、お見事!

和裁デビュー スローファッションのはじまり

この春から和裁を習っています。女学校で和裁を教えていたという齢90歳の母が先生です。大腿骨を骨折してから自由に外出することができなくなった母の退屈しのぎとボケ防止、そして私自身の趣味と実益を兼ねて始めてみました。着物が大好きとはいえ、指が全部親指と言っても過言でない不器用な私にとってなんとも無謀な挑戦でしたが、縫うことがこんなに楽しいことだったなんて。今、針仕事にハマっています。

昔は、和裁ができなかったら嫁にいけないっていうくらい着物を縫うことは女性の一般常識だったようですが、私の年代では中学の家庭科で浴衣を縫う授業すらなくなり、和裁はすでに専門職になっていました。ですから和裁の基本すら知らない私にとって母の口から出る、尺による寸法、着物や和裁の用語は未知なる世界でした。

やるからには日本の長さの単位で教えてもらおうと、ものさしも cm ではなく、尺さしを使ってみることにしました。これがなかなかぴんとこない。1尺2寸って言われてもその長さの具体的イメージがつかめない。1 尺は30.3cm。1寸はその1/10で3.03cm。そうか、「1寸先は闇」というけれど、目の前のわずか3cm 先のことすらも予知できないってことか、などと関係ないことに感心。

型紙に合わせ布を裁断し、体にフィットするよう立体的に仕立てる洋裁と違い、着物は1枚の細長い布(反物)に最低限しかはさみをいれず、部分部分を縫い合わせるだけ。布の原形を保ったままです。

1反の反物は幅は40cm 弱ですが長さは11~12メートルもあります。この細長い布の端から順に袖2枚、前身頃と後身頃2枚、衿、おくみ2枚を割り当てて裁ちます。後は部分部分を縫うだけ。とにかくひたすら直線縫いです。小学校の家庭科でやらされた運針。あの苦手だった運針です。針の運びにも布のしごき方にもこつがあり、その都度母から手ほどきを受けています。

「繰り越しあげを縫って」「きせをかけて」「反返し縫いでね」と母から聞き慣れない言葉での指示が飛びます。手にした針で布と格闘。昔の女性は和裁なんて誰でも出来たんだよなぁなど己の不器用さに情けなくなりながら必死で針を運んでいると、いつの間にか無心になってしまいます。縫うという単純な作業が楽しくなってきます。

直線縫いなんてミシンをつかえばずっときれいで短時間でできちゃいます。現に最近の浴衣はミシンで縫ったものがたくさん出回っています。でも手縫いのほうが仕上がりがやわらかいような気がします。なにより手縫いには縫い手の思いがこもります。誰かが手間を惜しまず作ってくれたもの、自分がゆっくり楽しみながら作ったもの。この間雑誌で見たスローファッションという言葉がぴったりだ。

浴衣 step 1 積もる

浴衣 step 1 積もる

春先から夏の終わりまでに麻の長襦袢と紬の単衣ができました。9月からは、もう夏は終わりですが、初心に戻って浴衣にかかっています。3着めにしてやっと、採寸、見積もり、布の裁ち方が頭に入ってきました。ひとつひとつの工程を大事に、そして楽しんで、私のスローファッションのはじまりです。

若き機織り職人さんの話

 火曜日の夜11時台は、NHK教育テレビで放送している「トラッドジャパン」という英語番組を見るのですが、7月14日は、そのまま見ていたら、「あしたをつかめ・平成若者仕事図鑑」という番組をやっていました。若者向けの、いわば就職ガイド。

 この日のテーマは、「機織り職人」。機織り職人をテーマにするなんて、とてもめずらしいので、思わずすぐに録画しながら、身を乗り出して見ていました。紹介されていたのは、京都・西陣、福岡・博多などと並んで、かつては隆盛を誇った関東の織物の産地、群馬の桐生で、老舗の織物会社に勤めるキャリア3年目の若き職人さん。

 服飾系の大学に通って、ちゃんと着物までつくった(多分、手織り)経験をもつ彼女が、なかなか受け入れてもらえなかった織物会社に入社して、いまでは若い感性を生かした着物のデザインも任されるようになって……。日頃は、着尺(着物の生地のこと)を織る大きな機械の管理、調整という仕事に従事されていますが、きっと自分がデザインした生地ができあがったら、さぞかしうれしいことでしょうね。

 この会社では、紋紙という、織りの情報をパンチの穴で伝える紙を織機に読み込ませることで、生地ができあがっていくのですが、もちろんそのスピードたるや、1日半かけて1着分織り上げるというのですから、人間の数十倍です。この紋紙を使う手法はもともと人間がやっていたことを紙に替えたわけで、フランスのジャガード織も同じ仕組み。コンピューターのもとになった機械、ともいわれています。いまでは着物の需要がどんどん下降線をたどり、こうした織機もむしろ絶滅危惧種かもしれません。

 着物の需要が減っているから生産もそんなにしなくていい。すると、この業界に関わる職人さんたちも減っていきます。西陣あたりでも、昔に比べれば、後継者はどんどん減っているそうです。確かに、需要(仕事)がなければ、食っていけない……そうなれば、職人のなり手が減るのは当然のことです。

 でも、この番組で紹介している職人さんをはじめ、まだまだ日本各地に、粘り強く着物や染織を守っていこうとしている人たちは、確実にいます。ま、この私ですら、自分用ぐらいなら、着物をつくろうと思っているくらいですから、日本の染織文化、そうやすやすと諦めてはいけません。こうした若い人たちが職人として十分やっていけるようにするためにも、着物を着るチャンスを増やすこと、日本の染織文化を再認識することなど、まだまだやれることはあるような気がします。

房州うちわ – 受継がれる日本の手仕事

連日の猛暑。職場に着くや傍らのうちわ(団扇)で熱る頬を扇ぎます。手にしたうちわは近所の商店の名が印刷されたプラスチック製の味気ないもの。子供の頃うちにあったのは確か竹と和紙で作られていたっけ。そんな昔ながらのうちわが千葉県南房総で今も手づくりされていると知り、夏休みの一日、南房総市富浦町にあるうちわの太田屋さんを訪ねてみました。

その工房は国道から脇道に入った木立の中にありました。看板がなければ通リ過ぎてしまいそうなくらい普通の農家のような佇まい。裁断されたままの竹が所狭しと積まれた作業場。突然訪れた私たちに作業の手を止め対応してくださった方が房州うちわの伝統を受継ぐ四代目太田美津江さんでした。
作業場に隣接する展示室。決して広くないスペースに仕上がったうちわが形別、貼ったものの素材別に立てられています。大きな楕円形のもの、小さいサイズもの。手描きの絵を貼ったもの。漉いた和紙を貼ったもの。浴衣地を貼ったものもあります。紙以外の素材が使われているその発想に驚きましたが、色といい柄といい夏の風情が高まります。葛飾北斎の浮世絵。これは特別注文で染め上げた縮緬を貼ったのだそうです。手にしてみると細くて丸い竹の質感が心地よく、思いのほか軽い。竹ってこんなに美しいものだったのだなぁと再認識しました。
浴衣地、窓、柄、広重の版画の複製.jpg
房州うちわは、千葉県内で始めて国の伝統工芸品として指定され、京都の京うちわ、四国の丸亀うちわとともに日本三大うちわの一つ。本体に柄を差し込んで仕上げる京うちわ、柄の平らな丸亀うちわに対し、房州うちわの特徴は竹の丸みを生かした丸い柄。そして柄の上にできる細かく裂いた竹で編まれた扇形の窓の美しさ。1本の丸い竹で柄から骨組みまで作る房州うちわでしか生み出せない特徴です。
しかしこのうちわづくりには、竹の選別から仕上げまで21もの工程があると伺い驚いてしまいました。まずは良質の竹の伐採、皮をむき、磨き上げてから水洗い。自然の素材を材料にするまでにすでに4工程。次に竹を割り、柄に穴を開け、糸で骨を編む。柄詰、弓削、下窓、窓作りなど仕上げまですべて手作業。熟練した職人さんたちの技を経てやっと一枚のうちわになるのです。最高の原材料を選び、それを手間をかけて材料にし、永い伝統に培われた技術で丁寧に作る、これこそがもの作りの原点に違いありません。
工程.jpg
分業の大変さを伺いながら、美しいうちわにほれぼれしている私たちに、「あんまりしゃべるなと父は言うんですよ、貧しいことがばれてしまうからって」「えっ?」「もともとは江戸下級武士の妻の手内職だったんですよ。傘張りみたいに。」と静かに微笑まれる太田さん。房州うちわの由来は、江戸時代に武士が弓矢の矢を作る際に出る廃材を利用して妻たちが手内職で作ったうちわが前身だというのです。
お家(おいえ)を守る武士の妻の凛とした姿と、伝統を受継ぎ守り育てている太田さんの誇り高き姿とが重なりました。

美の陰に職人ありー日本女性の装いの美をたどる「和モード」展

今年最初の、いろは堂スタッフのブログで、鼠色のことが紹介されていました。その発端となった年賀状を送ったのが私で、今回、ちょっと書かせていただくことになりました。それというのも、サントリー美術館(東京・六本木)で催された「和モード 日本女性、華やぎの装い」展(2007年12月23日~2008年1月14日)という展覧会について、すでに終了して半月以上もたってしまいましたが、ぜひ書きたいと申し出たからです。
 この展覧会は、小袖や髪飾り、化粧道具、浮世絵といったサントリー美術館の所蔵品に表現された伝統様式を「和モード」と名付け、日本女性の装いの歴史と文化を伝えようとするものです。昨年3月末にオープンした東京の新名所、東京ミッドタウンにあるこの“和モダン”の美術館で、想像以上に優美で精緻な和モードの世界に浸ることができました

例えば、小袖。平安時代の十二単(じゅうにひとえ)から、江戸時代にはより華やかに、より多彩に進化した、いわばおしゃれなコートです。染めや織り、刺繍などの技術を駆使して、花鳥風月や文字などをあしらった展示品の小袖たちの、なんときらびやかなこと! 現代で最も華やかとされる花嫁衣裳の色打ち掛け以上の絢爛豪華さを誇る美術品がずらりと並び、見る人みな感嘆の声をあげるほどです。
 そのほか、これも伝統工芸の蒔絵が施された櫛(見たこともないほど細かい櫛の目にもビックリ!)、隅々まで配慮されているうえに愛らしい化粧道具(これ欲しい、と思う現代女性もいるはず!)なども美の競演状態でした。見るほどに「日本の女性たちは、なんと美への探求心が強かったのだろう」と思うばかり。
 自らを美しく装うこと。それはどんな時代でも、女性にとって大切な自己表現なのだと、展示品を見ながら確信しました。また、それを可能にしてくれる衣裳や道具の美しさは、つくり手の職人たちの技術あってこそのもの。
 現に、実は、私がこの展覧会で一番印象深かったのが、『職人尽図屏風』(江戸時代17世紀)でした。機織、縫取(刺繍)、型置(染め)といった市井の職人たちが働く姿が描かれた屏風絵で、どんなふうにして作業をしていたかがうかがえるものです。こんな証拠写真みたいな作品が描かれていたことはとてもめずらしいと思いますが、まさに、美の陰に職人あり。残念ながら、こうした精巧で優美なものをつくれる職人さんが激減している現代の日本にあって、やはりまずは、伝統工芸品でその美に触れることの大切さを感じた展覧会でした。


沖縄の布 -首里織、ミンサー織-

 以前に取り上げた芭蕉布や紅型以外にも、沖縄独特の布地はたくさんあります。450年もの間繁栄した琉球王国によって、ときには人頭税といった過酷な歴史も背景にして、育まれ受け継がれたこれらの布の美しさには目を見張ります。貴重な宮古上布や八重山上布、久米島紬…。首里織は琉球王朝のまさにお膝元で生まれ、多彩な色や織の技法を発展させていき、現在では花織や首里道屯、首里絣、首里手縞など多くの種類に分けられます。幾何学的な文様をベースとした柄はとてもモダンな感じがします。八重山など各地で織られたミンサー織は場所によって少しずつ違うようです。八重山ミンサーに用いられる5つと4つの絣模様は、「いつ(五)の世(四)までも末永く」という意味があるのだそうです。5つと4つの柄を重ねると一つの正方形になるので、強い絆を表しているとも言われます。
 第2次大戦の深い傷跡は今なお癒えぬものでしょうが、沖縄ではこうした伝統の布が時代の流れを経て、綿々と受け継がれているのです。
首里織 八重山ミンサー
 私の沖縄の旅は急ぎ旅でなかなかゆっくりと伝統工芸を観て回るということができませんでしたが、次に沖縄を訪れるときは、ゆったりとした時間と海の色、空の色を楽しみながら、すばらしい布を見てきたいと思いました。

東京狭山茶手もみ保存会が受賞

 いろは堂のお茶の製造元である本比園の比留間さんもメンバーである東京狭山茶手もみ保存会が、11月20日に静岡県で開催された第10回全国手もみ茶技術競技会で最優秀賞を受賞しました。
 競技会参加者は「無欲の勝利」だったと語っています。手もみでお茶を作るのは体力と気力、技術を要する大変な作業で、受賞の影には日ごろの練習による研鑽があったことと思います。写真はその後、11月23日に東京都青梅市で開催されたJA西東京農業祭におけるお茶の手揉み実演の様子。この日は競技会出場者の2名も参加しての実演となりました。
手もみ実演の様子

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