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	<title>IROHA BLOG</title>
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	<description>Traditions &#38; Everyday living</description>
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		<title>番傘です</title>
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		<pubDate>Sat, 09 Apr 2011 11:07:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kz</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>

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		<description><![CDATA[3/24 に久しぶりに番傘が売れました。お客様は米国のオハイオ州の男性から。どうも大切な人への贈物のようです。 商品を自宅でコンパクトカメラでビデオ撮りしてみました。こんな感じです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>3/24 に久しぶりに番傘が売れました。お客様は米国のオハイオ州の男性から。どうも大切な人への贈物のようです。</p>
				<p>商品を自宅でコンパクトカメラでビデオ撮りしてみました。こんな感じです。</p>
				<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/nycJSNBM-ig?hl=ja&#038;fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/nycJSNBM-ig?hl=ja&#038;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>
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		<title>和ろうそくの芯切り</title>
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		<pubDate>Sun, 11 Apr 2010 03:53:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kz</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本のモノ]]></category>
		<category><![CDATA[キャンドル]]></category>
		<category><![CDATA[和ろうそく]]></category>
		<category><![CDATA[炎]]></category>
		<category><![CDATA[芯]]></category>
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		<category><![CDATA[蝋燭]]></category>

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		<description><![CDATA[洋ロウソクは、元々は蜜蝋でした。蜜蝋とは、読んで字の如く、ミツバチが巣を作るときに腹部から出す分泌物でできた蝋です。現在は、石油を精製するときにできるパラフィンが原料として使用されています。洋ロウソクの芯には綿糸などが使われています。 一方、和ろうそくはハゼノキやウルシから精製される木蝋（モクロウ）で作られます。木蝋が現れたのは室町時代とされていて、江戸時代に入って急速に普及したようです。 和ろうそくの芯は、綿糸ではなく、和紙を巻いたものにい草を巻きつけて作られます。洋ロウソクの芯よりも太く、なかなか燃え尽きません。このため時間の経過とともに炭化した燃え残りの芯が長くなり炎が大きくなってきます。あまり炎が大きくなると危険なので、芯切りをして炎を適度な大きさに調整する必要があります。 芯切り専用に、ピンセット様のものや、燃え残りを受ける円形の受け皿がついた文具様など様々な芯切ばさみが販売されています。一般的なハサミで代用してもまったく構いません。炎が大きくなってきたら、写真のように根元から適度な長さにチョキンと切り取ってください。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>
				洋ロウソクは、元々は蜜蝋でした。蜜蝋とは、読んで字の如く、ミツバチが巣を作るときに腹部から出す分泌物でできた蝋です。現在は、石油を精製するときにできるパラフィンが原料として使用されています。洋ロウソクの芯には綿糸などが使われています。
				</p>
				<p>
				一方、和ろうそくはハゼノキやウルシから精製される木蝋（モクロウ）で作られます。木蝋が現れたのは室町時代とされていて、江戸時代に入って急速に普及したようです。
				</p>
				<p>
				和ろうそくの芯は、綿糸ではなく、和紙を巻いたものにい草を巻きつけて作られます。洋ロウソクの芯よりも太く、なかなか燃え尽きません。このため時間の経過とともに炭化した燃え残りの芯が長くなり炎が大きくなってきます。あまり炎が大きくなると危険なので、芯切りをして炎を適度な大きさに調整する必要があります。<br />
				<img src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2010/04/core_cutting1-300x300.jpg" alt="Core cutting" title="core_cutting" width="250" height="250" hspace="5" vspace="5" /></a><br />
				芯切り専用に、ピンセット様のものや、燃え残りを受ける円形の受け皿がついた文具様など様々な芯切ばさみが販売されています。一般的なハサミで代用してもまったく構いません。炎が大きくなってきたら、写真のように根元から適度な長さにチョキンと切り取ってください。
				</p>
				<p><script type="text/javascript"><!--
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				</script><br />
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		</item>
		<item>
		<title>日本の景観、パチンコ店、失われたもの</title>
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		<pubDate>Sun, 04 Apr 2010 06:38:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kz</dc:creator>
				<category><![CDATA[生活・文化]]></category>
		<category><![CDATA[京都]]></category>
		<category><![CDATA[失われたもの]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[景観]]></category>
		<category><![CDATA[横須賀]]></category>

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		<description><![CDATA[以前から気になっていたアレックス・カーの「美しき日本の残像」をようやく手に入れて、読んでいます。 カーは、美しい日本はもう過去のもので二度と戻らない、と言います。この本には、興味深いことがたくさん書かれていますが、その中で頭に血がのぼってくるような痛烈な思いにかられた箇所がありました。おそらく20年も前のことなのだろうけれど、こんな話がでてきます。 「ヨーロッパの建築家を四国と奈良のほうに案内しました。僕は美しい寺と自然を見せるつもりでしたが、彼の目にはパチンコ店ばかりが映りました。『古い神社仏閣は死んだ遺跡です。京都の開発を見れば、今の日本人にとってそうした文化は無関係だとわかる。けれども新しいオフィス・ビルやアパートの造りはお粗末です。パチンコ店だけは豪華で、創造性に富んだファンタスティックなものになっています。もちろん悪趣味ですけど、その悪趣味こそは今の日本ではないか? パチンコ店はその趣味を徹底したものですから、日本の建築物の中ではそれは一番念が入った面白い建物だ』と彼は言いました。 パチンコ台の前に座るのは現代の瞑想である。パチンコ台の釘の並びは現代のマンダラだ。&#8230; 京都の新しい建物はどれもきらきらぴかぴかで、行政と伝統文化組織のエネルギーはパチンコ店趣味に走っています。考えてみれば、パチンコ店は現代の根本大塔(*)だ。」 カーの主催するサイト &#8220;CHIIORI&#8221; これが今の日本の姿なのです、実際… 小学校4年生の終りまで育った私の故郷、神奈川県横須賀市の鴨居は、ペリー来航で有名な浦賀のすぐ近くで、山と海に囲まれた小さな村でした。ピーヒョロロと鳴きながら空を飛びまわるトビの姿を見上げながら、年長のガキ大将に連れられて山の中に入ってあけびをとって食べたり、海に潜って魚を捕まえたりしていました。山の中には秘密の場所があり、夏は一人で、ときには小さな妹を連れてそこへいき、カブトムシやクワガタを捕まえたり、蟻地獄の巣にアリを落として遊んでみたり、と楽しい時を過ごしたものでした。 カーがその昔惚れ込んだ四国の祖谷の見事な自然と民家ほどではないにしても、「美しい日本」という言葉から私が連想することの底には、そうして遊んだ山や海、青い田や畑、藁葺き屋根の家などのイメージがきっとあるのでしょう。 後年、大学生になってから何度も一人で鴨居を尋ねてきました。しかし、訪れるたびに変わってゆく町の姿に、やりきれない思いを抱いていました。今では、昔あった山は跡形もなく消え去っています。山はすべて完ぺきに住宅と化してしまいました。海は依然としてそこにあるけれども、海岸線はきれいに整備された道路になり、護岸工事があちこちで行われてテトラポッドが並んでいます。もはや子どもたちが探検をするような場所はどこにもありません。（そんな中でも、知り合いの漁師の家には若い跡継ぎができて元気に漁をし、海苔をとって暮らしていますが。） カーは、「日本のどこに行っても風景が同じになってしまった。京都の町はもうすっかり壊されてしまった。その象徴が京都タワーだ。奈良は京都より開発が進んでいないからまだ良い」と言っています。政治家や行政を引き受ける者の責任を思わずにはいられません。 「失われた景観 &#8211; 戦後日本が築いたもの」（松原隆一郎著、2002年刊）には、日本の日常景観がなぜこんな奇妙なものに変わってきたのかが述べられています。その中に、神戸市の都市開発の話しが出てきます。神戸市は先進的な都市計画で注目されていましたが、住吉川景観訴訟では、訴えた住民側が敗訴し、日常景観を壊す高架が建設されてしまいます。その後何年かして東京の国立市で高層マンションの建設に反対する住民訴訟が起こり、一審は勝訴したものの、二審では逆転敗訴してしまいます。しかし、この件が契機になったのか、景観法という法律が制定されています。 写真: いろは堂で販売している和ろうそくの卸元、高澤商店の店舗。 国の登録文化財。石川県七尾市 ちと話しが固くなってしまいましたが、前掲の本やその他の本をいくら読んでも、日本人がなぜ、これほど昔からのものを壊してしまうのか、なぜ山を跡形もなく平にしてしまうのか、私には不思議でなりません。 何百年もかかって奇跡的な歴史の巡り合わせの中から育まれてきた日本の文化や景観は、わずか数十年で見事に変貌してしまいました。我々は自分の国だけでなく、東南アジアの国にも同じことをしています。ああ、嫌だ。 ※ 弘法大師空海が高野山を開闢するときに、密教独特の伽藍の構築を構想し、東西に中心的存在として多宝塔が建立された。特に東側の塔は約48メール近い高さの巨大なもので、これが根本大塔と呼ばれています。落雷などの被害を受けて何度も建てかえられているそうです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>以前から気になっていたアレックス・カーの「美しき日本の残像」をようやく手に入れて、読んでいます。
				</p>
				<p>
				カーは、美しい日本はもう過去のもので二度と戻らない、と言います。この本には、興味深いことがたくさん書かれていますが、その中で頭に血がのぼってくるような痛烈な思いにかられた箇所がありました。おそらく20年も前のことなのだろうけれど、こんな話がでてきます。
				</p>
				<blockquote><p>
				「ヨーロッパの建築家を四国と奈良のほうに案内しました。僕は美しい寺と自然を見せるつもりでしたが、彼の目にはパチンコ店ばかりが映りました。『古い神社仏閣は死んだ遺跡です。京都の開発を見れば、今の日本人にとってそうした文化は無関係だとわかる。けれども新しいオフィス・ビルやアパートの造りはお粗末です。パチンコ店だけは豪華で、創造性に富んだファンタスティックなものになっています。もちろん悪趣味ですけど、その悪趣味こそは今の日本ではないか? パチンコ店はその趣味を徹底したものですから、日本の建築物の中ではそれは一番念が入った面白い建物だ』と彼は言いました。<br />
				<中略><br />
				パチンコ台の前に座るのは現代の瞑想である。パチンコ台の釘の並びは現代のマンダラだ。&#8230; 京都の新しい建物はどれもきらきらぴかぴかで、行政と伝統文化組織のエネルギーはパチンコ店趣味に走っています。考えてみれば、パチンコ店は現代の根本大塔(*)だ。」</p>
				<p><a href="http://www.chiiori.org/aboutus/01.html" target="_blank"><span style="color:blue;">カーの主催するサイト &#8220;CHIIORI&#8221;<span></a>
				</p></blockquote>
				<p>
				これが今の日本の姿なのです、実際…
				</p>
				<p>
				小学校4年生の終りまで育った私の故郷、神奈川県横須賀市の鴨居は、ペリー来航で有名な浦賀のすぐ近くで、山と海に囲まれた小さな村でした。ピーヒョロロと鳴きながら空を飛びまわるトビの姿を見上げながら、年長のガキ大将に連れられて山の中に入ってあけびをとって食べたり、海に潜って魚を捕まえたりしていました。山の中には秘密の場所があり、夏は一人で、ときには小さな妹を連れてそこへいき、カブトムシやクワガタを捕まえたり、蟻地獄の巣にアリを落として遊んでみたり、と楽しい時を過ごしたものでした。
				</p>
				<p>
				カーがその昔惚れ込んだ四国の祖谷の見事な自然と民家ほどではないにしても、「美しい日本」という言葉から私が連想することの底には、そうして遊んだ山や海、青い田や畑、藁葺き屋根の家などのイメージがきっとあるのでしょう。
				</p>
				<p>
				後年、大学生になってから何度も一人で鴨居を尋ねてきました。しかし、訪れるたびに変わってゆく町の姿に、やりきれない思いを抱いていました。今では、昔あった山は跡形もなく消え去っています。山はすべて完ぺきに住宅と化してしまいました。海は依然としてそこにあるけれども、海岸線はきれいに整備された道路になり、護岸工事があちこちで行われてテトラポッドが並んでいます。もはや子どもたちが探検をするような場所はどこにもありません。（そんな中でも、<a href="http://blog.goo.ne.jp/motoiya" target="_blank">知り合いの漁師の家には若い跡継ぎができて元気に漁をし、海苔をとって暮らしていますが</a>。）
				</p>
				<p>
				カーは、「日本のどこに行っても風景が同じになってしまった。京都の町はもうすっかり壊されてしまった。その象徴が京都タワーだ。奈良は京都より開発が進んでいないからまだ良い」と言っています。政治家や行政を引き受ける者の責任を思わずにはいられません。
				</p>
				<p>
				「失われた景観 &#8211; 戦後日本が築いたもの」（松原隆一郎著、2002年刊）には、日本の日常景観がなぜこんな奇妙なものに変わってきたのかが述べられています。その中に、神戸市の都市開発の話しが出てきます。神戸市は先進的な都市計画で注目されていましたが、住吉川景観訴訟では、訴えた住民側が敗訴し、日常景観を壊す高架が建設されてしまいます。その後何年かして東京の国立市で高層マンションの建設に反対する住民訴訟が起こり、一審は勝訴したものの、二審では逆転敗訴してしまいます。しかし、この件が契機になったのか、景観法という法律が制定されています。
				</p>
				<p>
				<a href="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2010/04/20100403_takazawa.jpg"><img src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2010/04/20100403_takazawa.jpg" alt="Takazawa Candles" title="20100403_takazawa" width="337" height="188" class="alignnone size-full wp-image-416" /></a><br />
				<span style="color:blue; font-size:-1;">写真: いろは堂で販売している<a href="http://www.iroha-dou.com/default.php/cPath/79" target="_blank">和ろうそく</a>の卸元、高澤商店の店舗。<br />
				国の登録文化財。石川県七尾市</span>
				</p>
				<p>
				ちと話しが固くなってしまいましたが、前掲の本やその他の本をいくら読んでも、日本人がなぜ、これほど昔からのものを壊してしまうのか、なぜ山を跡形もなく平にしてしまうのか、私には不思議でなりません。
				</p>
				<p>
				何百年もかかって奇跡的な歴史の巡り合わせの中から育まれてきた日本の文化や景観は、わずか数十年で見事に変貌してしまいました。我々は自分の国だけでなく、東南アジアの国にも同じことをしています。ああ、嫌だ。
				</p>
				<p>
				※ 弘法大師空海が高野山を開闢するときに、密教独特の伽藍の構築を構想し、東西に中心的存在として多宝塔が建立された。特に東側の塔は約48メール近い高さの巨大なもので、これが根本大塔と呼ばれています。落雷などの被害を受けて何度も建てかえられているそうです。
				</p>
				<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=000000&#038;IS2=1&#038;nou=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=irohashopwebl-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;asins=4022642408" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></p>
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		<title>伊豆稲取: 雛のつるし飾り</title>
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		<pubDate>Sun, 28 Mar 2010 09:12:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kz</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本のモノ]]></category>
		<category><![CDATA[生活・文化]]></category>
		<category><![CDATA[つるし飾り]]></category>
		<category><![CDATA[手芸]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[節句]]></category>
		<category><![CDATA[長女]]></category>
		<category><![CDATA[雛祭り]]></category>

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		<description><![CDATA[ちょっと投稿の時期が遅くなってしまいましたが、雛祭り関連のトピックをひとつ。 私は畳の部屋で寝ていますが、枕元の壁に2月のある日から可愛いらしい人形がつり下げられました。気になって調べてみると、雛祭りに因む日本三大手芸と呼ばれているものがあることを初めて知りました。福岡県柳川の「さげもん」、伊豆稲取の「雛のつるし飾り」、山形県酒田の「傘福」だそうです。 枕元につるされていたのは、伊豆のお土産だと妻から聞いたので、伊豆稲取の「雛のつるし飾り」のようです。江戸時代から伝わるもので、長女の初節句に、無病息災と良縁を祈願してつるします。本来は、30cmほどの下げ輪に、170cmほどの赤い糸を5本つるし、それぞれの糸に着物のハギレで作った飾り人形が11個つけられます。これが雛飾りの両サイドにつるされます。 つるされる細工物には、桃(長寿)、猿（魔除け）、三角（薬袋・香袋）、巾着（金運）、柿（長寿・厄除）、ほおずき（女性のお守り）などがあります。 本来のものは110種類も細工物がつけられ、豪華ですが、枕元のこのつるし飾りはシンプルで、とてもかわいい。わたしとしては、これだけで十分満足。 伊豆稲取温泉でもうすぐ終わってしまいますが、「雛のつるし飾りまつり」が 3/31 まで開催されています。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>ちょっと投稿の時期が遅くなってしまいましたが、雛祭り関連のトピックをひとつ。</p>
				<p><img src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2010/03/20100328_TurushiBina011-150x150.png" alt="雛のつるし飾り - Hina no Tsurushi Kazari" title="20100328_TurushiBina01" width="150" height="150" class="size-thumbnail wp-image-401" align="left" hspace="10" vspace="10"  />私は畳の部屋で寝ていますが、枕元の壁に2月のある日から可愛いらしい人形がつり下げられました。気になって調べてみると、雛祭りに因む日本三大手芸と呼ばれているものがあることを初めて知りました。福岡県柳川の「さげもん」、伊豆稲取の「雛のつるし飾り」、山形県酒田の「傘福」だそうです。</p>
				<p>
				枕元につるされていたのは、伊豆のお土産だと妻から聞いたので、伊豆稲取の「雛のつるし飾り」のようです。江戸時代から伝わるもので、長女の初節句に、無病息災と良縁を祈願してつるします。本来は、30cmほどの下げ輪に、170cmほどの赤い糸を5本つるし、それぞれの糸に着物のハギレで作った飾り人形が11個つけられます。これが雛飾りの両サイドにつるされます。</p>
				<p>
				つるされる細工物には、桃(長寿)、猿（魔除け）、三角（薬袋・香袋）、巾着（金運）、柿（長寿・厄除）、ほおずき（女性のお守り）などがあります。</p>
				<p>
				<img src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2010/03/20100328_TurushiBina02.png" alt="枕元のつるし飾り" title="20100328_TurushiBina02" width="300" height="400" class="size-full wp-image-402" align="right" hspace="10" vspace="10" /></a><br />
				本来のものは110種類も細工物がつけられ、豪華ですが、枕元のこのつるし飾りはシンプルで、とてもかわいい。わたしとしては、これだけで十分満足。
				<p><a href ="http://www.inatorionsen.or.jp/" target="_blank">伊豆稲取温泉でもうすぐ終わってしまいますが、「雛のつるし飾りまつり」が 3/31 まで開催されています。</a></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>九谷焼、大正時代からの招き猫</title>
		<link>http://www.iroha-dou.com/blog/2010/03/%e4%b9%9d%e8%b0%b7%e7%84%bc%e3%80%81%e5%a4%a7%e6%ad%a3%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e6%8b%9b%e3%81%8d%e7%8c%ab/</link>
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		<pubDate>Tue, 16 Mar 2010 07:25:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ichirou</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本のモノ]]></category>
		<category><![CDATA[生活・文化]]></category>
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		<description><![CDATA[はじめて見た時から「かっこいいな」と思っていました。この色、このデザイン。九谷焼窯元、長高郁夫さんに電話でお尋ねしました。この色柄は、大正時代、九谷焼ではじめて「招き猫」が登場してから続いてます、とのこと。つまり大正時代から続いた Japan もう少し、Asia な招き猫、インテリア、ご贈答に如何でしょう。お値段は 3,000円から。ご購入はこちらからどうぞ！]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-387" title="K-1_1710" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2010/03/K-1_17101-300x300.jpg" alt="" width="300" height="300" /></p>
				<p>はじめて見た時から「かっこいいな」と思っていました。この色、このデザイン。九谷焼窯元、長高郁夫さんに電話でお尋ねしました。この色柄は、大正時代、九谷焼ではじめて「招き猫」が登場してから続いてます、とのこと。つまり大正時代から続いた<br />
				Japan もう少し、Asia な招き猫、インテリア、ご贈答に如何でしょう。お値段は 3,000円から。ご購入は<a href="http://www.iroha-dou.com/default.php/cPath/21_22">こちらから</a>どうぞ！</p>
]]></content:encoded>
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		<title>もうひとつの招き猫誕生話</title>
		<link>http://www.iroha-dou.com/blog/2009/11/%e3%82%82%e3%81%86%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%81%a4%e3%81%ae%e6%8b%9b%e3%81%8d%e7%8c%ab%e8%aa%95%e7%94%9f%e8%a9%b1/</link>
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		<pubDate>Wed, 25 Nov 2009 13:18:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ichirou</dc:creator>
				<category><![CDATA[生活・文化]]></category>
		<category><![CDATA[まねきねこ]]></category>
		<category><![CDATA[招き猫]]></category>
		<category><![CDATA[流政之]]></category>
		<category><![CDATA[自性院]]></category>

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		<description><![CDATA[新宿住友ビル玄関前に鎮座する「玉ちゃん」、世界的彫刻家、流政之氏の作品です。 「碑文」 人にいのちあれば　ねこにもいのちあり 江戸のさとを　ひらきし太田道灌 この地の北で　いくさに敗れ あわや　いのちを　失わん時 一匹のねこあらわれ　にげ道をあんない いのちをとりとめ　江戸を開いた なれど　このかくれた江戸の恩ねこも ねこなるゆえに　なものこらぬはふびん 江戸のいいたま　玉ちゃんと名づけ のちのちまでの江戸のまもりとす つくりびと　流　政之 ねこの生れ　文明狂年 新宿区西落合にある自性院の話。いくさで劣勢に立たされ、道に迷った太田道灌を一匹の猫が自性院に案内、道灌は危ないところを救われます。後に道灌はこの猫の地蔵尊を自性院に奉納します。この猫地蔵が、やがて自性院が「招き猫発祥の地」と呼ばれる、きっかけになります。世田谷豪徳寺と並ぶ、もうひとつの「招き猫発祥の地」説です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<div id="attachment_355" class="wp-caption alignnone" style="width: 134px"><img src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/11/tamachan1.jpg" alt="玉ちゃんの像" title="tamachan" width="124" height="166" class="size-full wp-image-355" /><p class="wp-caption-text">玉ちゃんの像</p></div><br />
				<a href="http://maps.google.com/maps?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;q=35.691304,139.692606&amp;ie=UTF8&amp;ll=35.691304,139.692606&amp;t=h&amp;z=15&amp;t=n&amp;maptype=G_NORMAL_MAP" title="東京都新宿区西新宿２丁目６−１"><img src="http://maps.google.com/staticmap?markers=35.691304,139.692606,red&amp;zoom=15&amp;size=450x350&amp;key=ABQIAAAAb5JbsZuwdywn3cQx68__dBSIl3JKwCN0EiExnqvv0FVZXKcHmBTvggR9YnfuXalXoWMEfeVtIoavrw&amp;hl=ja" alt="東京都新宿区西新宿２丁目６−１" title="東京都新宿区西新宿２丁目６−１" /></a>
				<p>新宿住友ビル玄関前に鎮座する「玉ちゃん」、世界的彫刻家、流政之氏の作品です。</p>
				<p>「碑文」</p>
				<p>人にいのちあれば　ねこにもいのちあり<br />
				江戸のさとを　ひらきし太田道灌<br />
				この地の北で　いくさに敗れ<br />
				あわや　いのちを　失わん時<br />
				一匹のねこあらわれ　にげ道をあんない<br />
				いのちをとりとめ　江戸を開いた<br />
				なれど　このかくれた江戸の恩ねこも<br />
				ねこなるゆえに　なものこらぬはふびん<br />
				江戸のいいたま　玉ちゃんと名づけ<br />
				のちのちまでの江戸のまもりとす<br />
				つくりびと　流　政之<br />
				ねこの生れ　文明狂年</p>
				<p>新宿区西落合にある自性院の話。いくさで劣勢に立たされ、道に迷った太田道灌を一匹の猫が自性院に案内、道灌は危ないところを救われます。後に道灌はこの猫の地蔵尊を自性院に奉納します。この猫地蔵が、やがて自性院が「招き猫発祥の地」と呼ばれる、きっかけになります。世田谷豪徳寺と並ぶ、もうひとつの「招き猫発祥の地」説です。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>招き猫の町「豪徳寺」</title>
		<link>http://www.iroha-dou.com/blog/2009/10/%e6%8b%9b%e3%81%8d%e7%8c%ab%e3%81%ae%e7%94%ba%e3%80%8c%e8%b1%aa%e5%be%b3%e5%af%ba%e3%80%8d/</link>
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		<pubDate>Fri, 02 Oct 2009 13:03:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ichirou</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本のモノ]]></category>
		<category><![CDATA[井伊直孝]]></category>
		<category><![CDATA[伝統]]></category>
		<category><![CDATA[彦根藩]]></category>
		<category><![CDATA[招き猫]]></category>
		<category><![CDATA[菩提寺]]></category>

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		<description><![CDATA[よく晴れた秋の平日、豪徳寺に行ってみようと新宿へ。 世田谷にある曹洞宗大谿山豪徳寺は彦根藩主井伊家の菩提寺です。桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼もここに眠っています。 江戸時代初期、当時まだ貧しい寺だった弘徳院（現在の豪徳寺）の和尚は猫を大変かわいがり、自分の食をけずってでも猫に与え、わが子のように育てていました。ある日和尚は猫に向かい「もし恩を感じてくれているのなら、福を運んできてくれないか」と言いつけます。 数ヶ月後の夏の昼下がり、寺に狩を終えた5、6人の武士が訪れます。和尚は奥へ招きいれ、接待し、心静かに説法をします。これに喜んだ内の1人、彦根藩2代目藩主井伊直孝はこれが縁でたびたび寺を訪れるようになります。やがて世田谷が井伊家の所領となったのを機に弘徳院が井伊家菩提寺となり、寺は繁栄します。 この貧しい寺の前を偶然通りかかった井伊直孝一行を、門の中に手を上げ招き入れたのが、和尚の愛猫でした。和尚はこれは猫が日頃の恩に報い、福を招いてくれたご利益だと喜び、後にこの猫の墓を建て冥福を祈り、後の世の人々にも、愛猫が門前でみせた手を上げ招き入れる姿を形にした人形を「招福猫児（まねきねこ）」と名をつけ祈ることで幸福が訪れるようにと祈願したそうです。 これが豪徳寺「招福猫児（まねきねこ）」物語。 普段けっこう招き猫のお世話になっているのに、豪徳寺には一度も行ったことがなかったな、などと考えながら車窓を眺めていると、小田急線豪徳寺の駅に到着。高架複々線化が完了した2階ホームからエスカレータで1階へ降り、改札口を出て左へ。豪徳寺商店街は通勤通学のラッシュの時間を過ぎ、落ち着いた空気が流れていました。昔ながらの商店街を歩いていると、 市場の看板に、銀行の出窓に、街灯の柱に、蕎麦屋の見本のわきに、「まねきねこ」の人形や絵を見つけました。なるほど「まねきねこ」の街。でもそれはさりげなく、この街に「まねきねこ」が浸透していることをうかがわせます。 しばらく歩いているとやがて豪徳寺の敷地の周回へ。閑静な住宅街の中にある大きな寺の敷地をグルッと半周ほどすると正門へ到着しました。うしろを振り返ると立派な松に囲まれた参道があり、敷地のまわりをめぐって来たので直接正門に着いたことに気づき、参道口方向へ歩き、参道から正門を眺めてみました。 歴史を感じさせる正門をくぐり敷地内に入ります。まず目に付くのは三重の塔、そして仏殿、本堂、建てられた時代は違うようですがそれぞれ落ち着いた風格があります。そして手入れの行き届いた庭。境内からは清潔感を感じました。 三重の塔のすこし奥に入ったところにある「招福堂」。門をくぐりお堂の左脇をさらに奥へすすむと、ひっそりと「招福猫奉納所」がありました。大小さまざまな大きさの「まねきねこ」が木の棚にぎっしり並んでいました。ひっそりと、静かに。 受付のまえに「まねきねこ」の看板が。おもえば豪徳寺境内唯一の絵看板です。このように、街中同様、豪徳寺境内でも「まねきねこ」はさりげなく。 受付で「まねきねこ」2号を購入しました。顔の小さな凛々しい猫です。これぞ由来の寺、豪徳寺の「まねきねこ」です。 もっと派手に宣伝しているのかと思っていましたが、さにあらず。「まねきねこ」はその由来とともに、質素にそして大切に守られています。うーん、お見事！]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>よく晴れた秋の平日、豪徳寺に行ってみようと新宿へ。
				</p>
				<p>
				世田谷にある曹洞宗大谿山豪徳寺は彦根藩主井伊家の菩提寺です。桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼もここに眠っています。
				</p>
				<p>
				江戸時代初期、当時まだ貧しい寺だった弘徳院（現在の豪徳寺）の和尚は猫を大変かわいがり、自分の食をけずってでも猫に与え、わが子のように育てていました。ある日和尚は猫に向かい「もし恩を感じてくれているのなら、福を運んできてくれないか」と言いつけます。
				</p>
				<p>
				数ヶ月後の夏の昼下がり、寺に狩を終えた5、6人の武士が訪れます。和尚は奥へ招きいれ、接待し、心静かに説法をします。これに喜んだ内の1人、彦根藩2代目藩主井伊直孝はこれが縁でたびたび寺を訪れるようになります。やがて世田谷が井伊家の所領となったのを機に弘徳院が井伊家菩提寺となり、寺は繁栄します。
				</p>
				<p>
				この貧しい寺の前を偶然通りかかった井伊直孝一行を、門の中に手を上げ招き入れたのが、和尚の愛猫でした。和尚はこれは猫が日頃の恩に報い、福を招いてくれたご利益だと喜び、後にこの猫の墓を建て冥福を祈り、後の世の人々にも、愛猫が門前でみせた手を上げ招き入れる姿を形にした人形を「招福猫児（まねきねこ）」と名をつけ祈ることで幸福が訪れるようにと祈願したそうです。
				</p>
				<p>
				これが豪徳寺「招福猫児（まねきねこ）」物語。
				</p>
				<p>
				普段けっこう招き猫のお世話になっているのに、豪徳寺には一度も行ったことがなかったな、などと考えながら車窓を眺めていると、小田急線豪徳寺の駅に到着。高架複々線化が完了した2階ホームからエスカレータで1階へ降り、改札口を出て左へ。豪徳寺商店街は通勤通学のラッシュの時間を過ぎ、落ち着いた空気が流れていました。昔ながらの商店街を歩いていると、
				</p>
				<div id="attachment_295" class="wp-caption alignleft" style="width: 235px"><img class="size-medium wp-image-295" title="豪徳寺へ" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-01-225x300.jpg" alt="豪徳寺へ" width="225" height="300" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺へ</p></div>
				<p>
				市場の看板に、銀行の出窓に、街灯の柱に、蕎麦屋の見本のわきに、「まねきねこ」の人形や絵を見つけました。なるほど「まねきねこ」の街。でもそれはさりげなく、この街に「まねきねこ」が浸透していることをうかがわせます。
				</p>
				<div id="attachment_296" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-296" title="豪徳寺の市場" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-02-300x225.jpg" alt="豪徳寺の市場" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺の市場</p></div>
				<div id="attachment_297" class="wp-caption alignnone" style="width: 235px"><img class="size-medium wp-image-297" title="豪徳寺へ：その２" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-03-225x300.jpg" alt="豪徳寺へ：その２" width="225" height="300" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺へ：その２</p></div>
				<p>
				しばらく歩いているとやがて豪徳寺の敷地の周回へ。閑静な住宅街の中にある大きな寺の敷地をグルッと半周ほどすると正門へ到着しました。うしろを振り返ると立派な松に囲まれた参道があり、敷地のまわりをめぐって来たので直接正門に着いたことに気づき、参道口方向へ歩き、参道から正門を眺めてみました。
				</p>
				<div id="attachment_299" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-299" title="豪徳寺参道" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-04-300x225.jpg" alt="豪徳寺参道" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺参道</p></div>
				<div id="attachment_300" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-300" title="豪徳寺門前" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-05-300x225.jpg" alt="豪徳寺門前" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺門前</p></div>
				<div id="attachment_301" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-301" title="豪徳寺門入る" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-06-300x225.jpg" alt="豪徳寺門入る" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺門入る</p></div>
				<p>
				歴史を感じさせる正門をくぐり敷地内に入ります。まず目に付くのは三重の塔、そして仏殿、本堂、建てられた時代は違うようですがそれぞれ落ち着いた風格があります。そして手入れの行き届いた庭。境内からは清潔感を感じました。
				</p>
				<div id="attachment_302" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-302" title="豪徳寺内" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-07-300x225.jpg" alt="豪徳寺内" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺内</p></div>
				<div id="attachment_303" class="wp-caption alignnone" style="width: 235px"><img class="size-medium wp-image-303" title="豪徳寺三重塔" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-08-225x300.jpg" alt="豪徳寺三重塔" width="225" height="300" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺三重塔</p></div>
				<p>
				三重の塔のすこし奥に入ったところにある「招福堂」。門をくぐりお堂の左脇をさらに奥へすすむと、ひっそりと「招福猫奉納所」がありました。大小さまざまな大きさの「まねきねこ」が木の棚にぎっしり並んでいました。ひっそりと、静かに。
				</p>
				<div id="attachment_304" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-304" title="豪徳寺・招福堂入口" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-09-300x225.jpg" alt="豪徳寺・招福堂入口" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺・招福堂入口</p></div>
				<div id="attachment_305" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-305" title="豪徳寺・招福堂1" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-10-300x225.jpg" alt="豪徳寺・招福堂1" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺・招福堂1</p></div>
				<div id="attachment_306" class="wp-caption alignnone" style="width: 235px"><img class="size-medium wp-image-306" title="豪徳寺・招福堂2" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-11-225x300.jpg" alt="豪徳寺・招福堂2" width="225" height="300" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺・招福堂2</p></div>
				<div id="attachment_307" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-307" title="豪徳寺・招福堂3" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-12-300x225.jpg" alt="豪徳寺・招福堂3" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺・招福堂3</p></div>
				<p>
				受付のまえに「まねきねこ」の看板が。おもえば豪徳寺境内唯一の絵看板です。このように、街中同様、豪徳寺境内でも「まねきねこ」はさりげなく。</p>
				<div id="attachment_309" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-309" title="豪徳寺・招き猫の看板" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-131-300x225.jpg" alt="豪徳寺・招き猫の看板" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺・招き猫の看板</p></div>
				<p>
				受付で「まねきねこ」2号を購入しました。顔の小さな凛々しい猫です。これぞ由来の寺、豪徳寺の「まねきねこ」です。
				</p>
				<div id="attachment_310" class="wp-caption alignnone" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-310" title="豪徳寺・「まねきねこ」2号" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/10/090930-14-300x225.jpg" alt="豪徳寺・「まねきねこ」2号" width="300" height="225" /><p class="wp-caption-text">豪徳寺・「まねきねこ」2号</p></div>
				<p>
				もっと派手に宣伝しているのかと思っていましたが、さにあらず。「まねきねこ」はその由来とともに、質素にそして大切に守られています。うーん、お見事！</p>
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		<title>和裁デビュー スローファッションのはじまり</title>
		<link>http://www.iroha-dou.com/blog/2009/09/%e5%92%8c%e8%a3%81%e3%83%87%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%80%80%e3%82%b9%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%81%af%e3%81%98%e3%81%be%e3%82%8a/</link>
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		<pubDate>Sat, 05 Sep 2009 03:10:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>mariko</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本のモノ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[生活・文化]]></category>
		<category><![CDATA[スローファッション]]></category>
		<category><![CDATA[和裁]]></category>
		<category><![CDATA[着物]]></category>
		<category><![CDATA[縫う]]></category>
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		<category><![CDATA[針仕事]]></category>

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		<description><![CDATA[この春から和裁を習っています。女学校で和裁を教えていたという齢90歳の母が先生です。大腿骨を骨折してから自由に外出することができなくなった母の退屈しのぎとボケ防止、そして私自身の趣味と実益を兼ねて始めてみました。着物が大好きとはいえ、指が全部親指と言っても過言でない不器用な私にとってなんとも無謀な挑戦でしたが、縫うことがこんなに楽しいことだったなんて。今、針仕事にハマっています。 昔は、和裁ができなかったら嫁にいけないっていうくらい着物を縫うことは女性の一般常識だったようですが、私の年代では中学の家庭科で浴衣を縫う授業すらなくなり、和裁はすでに専門職になっていました。ですから和裁の基本すら知らない私にとって母の口から出る、尺による寸法、着物や和裁の用語は未知なる世界でした。 やるからには日本の長さの単位で教えてもらおうと、ものさしも cm ではなく、尺さしを使ってみることにしました。これがなかなかぴんとこない。1尺2寸って言われてもその長さの具体的イメージがつかめない。1 尺は30.3cm。1寸はその1/10で3.03cm。そうか、「１寸先は闇」というけれど、目の前のわずか3cm 先のことすらも予知できないってことか、などと関係ないことに感心。 型紙に合わせ布を裁断し、体にフィットするよう立体的に仕立てる洋裁と違い、着物は1枚の細長い布(反物）に最低限しかはさみをいれず、部分部分を縫い合わせるだけ。布の原形を保ったままです。 １反の反物は幅は40cm 弱ですが長さは11～12メートルもあります。この細長い布の端から順に袖２枚、前身頃と後身頃２枚、衿、おくみ２枚を割り当てて裁ちます。後は部分部分を縫うだけ。とにかくひたすら直線縫いです。小学校の家庭科でやらされた運針。あの苦手だった運針です。針の運びにも布のしごき方にもこつがあり、その都度母から手ほどきを受けています。 「繰り越しあげを縫って」「きせをかけて」「反返し縫いでね」と母から聞き慣れない言葉での指示が飛びます。手にした針で布と格闘。昔の女性は和裁なんて誰でも出来たんだよなぁなど己の不器用さに情けなくなりながら必死で針を運んでいると、いつの間にか無心になってしまいます。縫うという単純な作業が楽しくなってきます。 直線縫いなんてミシンをつかえばずっときれいで短時間でできちゃいます。現に最近の浴衣はミシンで縫ったものがたくさん出回っています。でも手縫いのほうが仕上がりがやわらかいような気がします。なにより手縫いには縫い手の思いがこもります。誰かが手間を惜しまず作ってくれたもの、自分がゆっくり楽しみながら作ったもの。この間雑誌で見たスローファッションという言葉がぴったりだ。 春先から夏の終わりまでに麻の長襦袢と紬の単衣ができました。9月からは、もう夏は終わりですが、初心に戻って浴衣にかかっています。3着めにしてやっと、採寸、見積もり、布の裁ち方が頭に入ってきました。ひとつひとつの工程を大事に、そして楽しんで、私のスローファッションのはじまりです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>この春から和裁を習っています。女学校で和裁を教えていたという齢90歳の母が先生です。大腿骨を骨折してから自由に外出することができなくなった母の退屈しのぎとボケ防止、そして私自身の趣味と実益を兼ねて始めてみました。着物が大好きとはいえ、指が全部親指と言っても過言でない不器用な私にとってなんとも無謀な挑戦でしたが、縫うことがこんなに楽しいことだったなんて。今、針仕事にハマっています。
				</p>
				<p>
				昔は、和裁ができなかったら嫁にいけないっていうくらい着物を縫うことは女性の一般常識だったようですが、私の年代では中学の家庭科で浴衣を縫う授業すらなくなり、和裁はすでに専門職になっていました。ですから和裁の基本すら知らない私にとって母の口から出る、尺による寸法、着物や和裁の用語は未知なる世界でした。
				</p>
				<p>
				やるからには日本の長さの単位で教えてもらおうと、ものさしも cm ではなく、尺さしを使ってみることにしました。これがなかなかぴんとこない。1尺2寸って言われてもその長さの具体的イメージがつかめない。1 尺は30.3cm。1寸はその1/10で3.03cm。そうか、「１寸先は闇」というけれど、目の前のわずか3cm 先のことすらも予知できないってことか、などと関係ないことに感心。
				</p>
				<p>
				型紙に合わせ布を裁断し、体にフィットするよう立体的に仕立てる洋裁と違い、着物は1枚の細長い布(反物）に最低限しかはさみをいれず、部分部分を縫い合わせるだけ。布の原形を保ったままです。
				</p>
				<p>
				１反の反物は幅は40cm 弱ですが長さは11～12メートルもあります。この細長い布の端から順に袖２枚、前身頃と後身頃２枚、衿、おくみ２枚を割り当てて裁ちます。後は部分部分を縫うだけ。とにかくひたすら直線縫いです。小学校の家庭科でやらされた運針。あの苦手だった運針です。針の運びにも布のしごき方にもこつがあり、その都度母から手ほどきを受けています。
				</p>
				<p>
				「繰り越しあげを縫って」「きせをかけて」「反返し縫いでね」と母から聞き慣れない言葉での指示が飛びます。手にした針で布と格闘。昔の女性は和裁なんて誰でも出来たんだよなぁなど己の不器用さに情けなくなりながら必死で針を運んでいると、いつの間にか無心になってしまいます。縫うという単純な作業が楽しくなってきます。
				</p>
				<p>
				直線縫いなんてミシンをつかえばずっときれいで短時間でできちゃいます。現に最近の浴衣はミシンで縫ったものがたくさん出回っています。でも手縫いのほうが仕上がりがやわらかいような気がします。なにより手縫いには縫い手の思いがこもります。誰かが手間を惜しまず作ってくれたもの、自分がゆっくり楽しみながら作ったもの。この間雑誌で見たスローファッションという言葉がぴったりだ。
				</p>
				<div id="attachment_254" class="wp-caption alignnone" style="width: 250px"><img class="size-full wp-image-254" title="浴衣 積もる" src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/09/浴衣-積もる.JPG" alt="浴衣　step 1 積もる" width="240" height="320" /><p class="wp-caption-text">浴衣　step 1 積もる</p></div>
				<p>
				春先から夏の終わりまでに麻の長襦袢と紬の単衣ができました。9月からは、もう夏は終わりですが、初心に戻って浴衣にかかっています。3着めにしてやっと、採寸、見積もり、布の裁ち方が頭に入ってきました。ひとつひとつの工程を大事に、そして楽しんで、私のスローファッションのはじまりです。</p>
				<p>
]]></content:encoded>
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		<title>スタインベックと旅、そして本</title>
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		<pubDate>Thu, 20 Aug 2009 14:22:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kz</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[伝統]]></category>
		<category><![CDATA[旅]]></category>
		<category><![CDATA[本]]></category>
		<category><![CDATA[詩]]></category>

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		<description><![CDATA[ジョン・スタインベックは、怒りの葡萄やエデンの東、などであまりにも有名ですが、ついこのあいだこのブログに書いた「お盆とお墓」の中で、日本中のいたるところに出稼ぎの人たちがいて、自分の故郷ではない他人の土地で数えきれないほど多くの人々が眠っているという話を紹介しました。その連想で、そういえば昔、スタインベックが犬を連れてアメリカを旅した話を読んだな、と思い出しました。 私は中学と高校の六年間、寮生活(寄宿舎生活)を送りました。中学校入学が決まった後のある日、父母に連れられて寮を訪ね、「それじゃお前は今日からここで生活することになる」とか何とか父親に言われ、私は一人そこに置いていかれました。小雨の降る日で、なにやら心細い、ちょっと悲しい気持がしたことを、うっすらと覚えています。 ところでこのとき、私にとって劇的なことが起こりました。それは生まれて初めて毎月小遣いをもらうようになったことです。学校で決められていた金額は、2000円。自分の自由になるこんな大金を初めて手にしてとてもうれしかったことを、鮮明に覚えています。 当時、学校の周りにはほとんど何もなく、あるのは校門を出て2、30メートルほど行ったところに中華そば屋と小さなスーパー、少し離れて肉屋があるだけ。しかしそこから数百メートルほど先に、小さな小さな書店がありました。八坂書店と言います。 本を読むのが好きだった私は、初めてもらった小遣いをポケットに入れ、ある日 ― 多分、土曜日の午後 ― 外から見ると薄暗い、この書店にオソルオソル入る。そして、ある本を買いました。今となっては記憶があいまいなのですが、太宰治の「人間失格」か、ヴィクトル・ユーゴーの「９３年」のどちらかだったと思います。 ９３年は、1793年のことで、フランス革命真っ最中の時代を描いた小説です。どちらも、なんで中学一年生が読まなければいけないのか、といった選択でしたが、「９３年」は父親からその内容の一部を聞かされていたのがきっかけだったことを記憶しています。「人間失格」については、寮でこれを読んでいるとき、同部屋の高校一年生の先輩から、なんで中一が人間失格なんか読んでるんだ、と言われたことをはっきり覚えています。心の中で、そいつに向かって「うるせぇ」と言いました。 それにしても、大体、若いころ読んだ本の内容なんてものは、後々まで記憶に残るということは少ないのではないでしょうか。大人になってから、書店で面白そうだな、と思って買った読んでいたら、あれ、これ前に読んだことがあるなぁ、と思い出したリすることが時折あります。してみると、読む本の傾向というのは、若いころからあまり変わらないのかもしれません。 数年前に、荒川洋治という現代詩人のエッセーを読んでいたら、スタインベックの話がでてきて、本について私が感じていたのと似たようなことを実にうまく書いてあるのを発見し、嬉しくなりました。 　大学一年のときの、最初の授業のテキストはスタインベック『チャーリーとの旅』。教室では英語の本。ぼくは英語が苦手。日本語訳を買って読む。しぶしぶ読む。それから三五年後、古書店でその本と再会した。 　何十年も自分の国について書いてきたのに、そのアメリカという国を知らないことに気づいたスタインベックは愛犬チャーリーを連れてアメリカ大陸の旅に出る。五十八歳のときである。 今の私と同じ年にスタインベックは、そんな旅に出たのでした！ 　今ならそのことについて何かをぼくは思うが、学生のときは何も感じない。今日の授業はチャーリーか。チャーリー一冊を、教室まで連れていくだけである。ではこの本が何ももたらさなかったかというと、そうでもない。 　そのスタインベックの最高傑作『ハツカネズミと人間』をそのあと、それも五十歳を過ぎてから読み、僕は感動するのだが、その夢中のさなかにも、あ、チャーリーを連れて旅をした人だと、遠くのほうで、思っていた。 そうだなぁ、と思いました。 　一冊の本を手にするということは、どうもそういうことらしい。自分の中に何かの「種」、何かの「感覚」、おおげさにいえば何か「伝統」のようなものが、芽生えるのだ。それはそのときのものとはならないにしても、そのあとのその人のなかにひきつがれるものだから軽くはない。流されもしない。 (中略) 　最初にふれているのだ。そのときは気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前に、与えられているのだ。 　読書とはいつも、そういうものである。 私は、これを読んで感動してしまいました。詩人とはすばらしいなぁ、と。詩人は散文を書いても詩人だ。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>ジョン・スタインベックは、怒りの葡萄やエデンの東、などであまりにも有名ですが、ついこのあいだこのブログに書いた「お盆とお墓」の中で、日本中のいたるところに出稼ぎの人たちがいて、自分の故郷ではない他人の土地で数えきれないほど多くの人々が眠っているという話を紹介しました。その連想で、そういえば昔、スタインベックが犬を連れてアメリカを旅した話を読んだな、と思い出しました。</p>
				<div id="attachment_243" class="wp-caption alignleft" style="width: 151px"><a href="http://astore.amazon.co.jp/irohashopwebl09-22/detail/4591097269"　target="_blank"><img src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/08/charlieAndJourney.jpg" alt="チャーリーと旅 by スタインベック" title="charlieAndJourney" width="141" height="210" class="size-full wp-image-243" /></a><p class="wp-caption-text">チャーリーとの旅 by スタインベック</p></div>
				<p>
				私は中学と高校の六年間、寮生活(寄宿舎生活)を送りました。中学校入学が決まった後のある日、父母に連れられて寮を訪ね、「それじゃお前は今日からここで生活することになる」とか何とか父親に言われ、私は一人そこに置いていかれました。小雨の降る日で、なにやら心細い、ちょっと悲しい気持がしたことを、うっすらと覚えています。
				</p>
				<p>
				ところでこのとき、私にとって劇的なことが起こりました。それは生まれて初めて毎月小遣いをもらうようになったことです。学校で決められていた金額は、2000円。自分の自由になるこんな大金を初めて手にしてとてもうれしかったことを、鮮明に覚えています。
				</p>
				<p>
				当時、学校の周りにはほとんど何もなく、あるのは校門を出て2、30メートルほど行ったところに中華そば屋と小さなスーパー、少し離れて肉屋があるだけ。しかしそこから数百メートルほど先に、小さな小さな書店がありました。八坂書店と言います。
				</p>
				<p>
				本を読むのが好きだった私は、初めてもらった小遣いをポケットに入れ、ある日 ― 多分、土曜日の午後 ― 外から見ると薄暗い、この書店にオソルオソル入る。そして、ある本を買いました。今となっては記憶があいまいなのですが、太宰治の「人間失格」か、ヴィクトル・ユーゴーの「９３年」のどちらかだったと思います。
				</p>
				<p>
				９３年は、1793年のことで、フランス革命真っ最中の時代を描いた小説です。どちらも、なんで中学一年生が読まなければいけないのか、といった選択でしたが、「９３年」は父親からその内容の一部を聞かされていたのがきっかけだったことを記憶しています。「人間失格」については、寮でこれを読んでいるとき、同部屋の高校一年生の先輩から、なんで中一が人間失格なんか読んでるんだ、と言われたことをはっきり覚えています。心の中で、そいつに向かって「うるせぇ」と言いました。
				</p>
				<p>
				それにしても、大体、若いころ読んだ本の内容なんてものは、後々まで記憶に残るということは少ないのではないでしょうか。大人になってから、書店で面白そうだな、と思って買った読んでいたら、あれ、これ前に読んだことがあるなぁ、と思い出したリすることが時折あります。してみると、読む本の傾向というのは、若いころからあまり変わらないのかもしれません。
				</p>
				<p>
				数年前に、荒川洋治という現代詩人のエッセーを読んでいたら、スタインベックの話がでてきて、本について私が感じていたのと似たようなことを実にうまく書いてあるのを発見し、嬉しくなりました。</p>
				<blockquote><p>
				　大学一年のときの、最初の授業のテキストはスタインベック『チャーリーとの旅』。教室では英語の本。ぼくは英語が苦手。日本語訳を買って読む。しぶしぶ読む。それから三五年後、古書店でその本と再会した。<br />
				　何十年も自分の国について書いてきたのに、そのアメリカという国を知らないことに気づいたスタインベックは愛犬チャーリーを連れてアメリカ大陸の旅に出る。五十八歳のときである。
				</p></blockquote>
				<p>今の私と同じ年にスタインベックは、そんな旅に出たのでした！</p>
				<blockquote><p>
				　今ならそのことについて何かをぼくは思うが、学生のときは何も感じない。今日の授業はチャーリーか。チャーリー一冊を、教室まで連れていくだけである。ではこの本が何ももたらさなかったかというと、そうでもない。<br />
				　そのスタインベックの最高傑作『ハツカネズミと人間』をそのあと、それも五十歳を過ぎてから読み、僕は感動するのだが、その夢中のさなかにも、あ、チャーリーを連れて旅をした人だと、遠くのほうで、思っていた。
				</p></blockquote>
				<p>そうだなぁ、と思いました。</p>
				<blockquote><p>
				　一冊の本を手にするということは、どうもそういうことらしい。自分の中に何かの「種」、何かの「感覚」、おおげさにいえば何か「伝統」のようなものが、芽生えるのだ。それはそのときのものとはならないにしても、そのあとのその人のなかにひきつがれるものだから軽くはない。流されもしない。<br />
				(中略)<br />
				　最初にふれているのだ。そのときは気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前に、与えられているのだ。<br />
				　読書とはいつも、そういうものである。
				</p></blockquote>
				<p>私は、これを読んで感動してしまいました。詩人とはすばらしいなぁ、と。詩人は散文を書いても詩人だ。</p>
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		<title>イラン人の大工さん</title>
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		<pubDate>Sat, 15 Aug 2009 09:08:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kz</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[イラン]]></category>
		<category><![CDATA[外国人]]></category>
		<category><![CDATA[大工]]></category>
		<category><![CDATA[建築]]></category>
		<category><![CDATA[移住]]></category>

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		<description><![CDATA[昨日は、とてもうれしいことがありました。会社のブログにも書きましたが、カナダに移住するために必要な書類の英語への翻訳を依頼してきたイラン人の男性から、３年越しの手続き・審査がようやく終わり、カナダ政府から永住ビザがおりました、と連絡があったのです。 いろは堂の運営会社である株式会社ソーホーズでは、色々な分野の翻訳をやっていますが、その中のひとつに公文書の翻訳というのがあります。ネット経由で注文が入るのですが、一番多い依頼は、戸籍謄本、婚姻届受理証明書、出生届・出生証明書、会社謄本などです。 この方からは、これまででもっとも多くの書類の翻訳を依頼されました。ふつうは1種類で、多くても2種類です。ところが、この方からは以下のような種類の翻訳を依頼されたのです。 1) 職業訓練学校の修了証　　2007年6月11日 2) インターンシップの修了書　　2007年6月11日 3) 戸籍謄本　　2007年8月10日 4) 婚姻届受理証明書　　2007年8月10日 5) 技能検定合格証　　2008年1月10日 6) 会社の在籍証明書 &#8211; 2 社分　　2008年1月21日 これは、移住という特別な理由からでしょうか。弁護士から都度指示を受けていたようです。数年前に、オーストラリアへ移住申請に使うという日本人の寿司職人の方の戸籍謄本を翻訳しましたが、その人は2~3年がんばったようですが、言葉の壁で結局断念したようです。 このイランの方は、遠いアジアの西の果てから日本にきて、建築大工の学校を卒業し、見習いでいくつかの会社のベテラン大工の下で働き、建築大工2級技能検定試験をパスし、そして2つの会社で実務経験を積んだ上で、ようやく念願のビザを獲得したのでした。その間、日本人の奥さんをもらい、お子さんができ、おそらく英語の勉強もしていたはずです。 来年の3月に家族とともにカナダに移るとのことでした。日本とカナダとでは同じ大工といっても色々と違いがあるでしょうけれど、がんばって欲しいものです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>昨日は、とてもうれしいことがありました。会社のブログにも書きましたが、カナダに移住するために必要な書類の英語への翻訳を依頼してきたイラン人の男性から、３年越しの手続き・審査がようやく終わり、カナダ政府から永住ビザがおりました、と連絡があったのです。</p>
				<p>いろは堂の運営会社である株式会社ソーホーズでは、色々な分野の翻訳をやっていますが、その中のひとつに公文書の翻訳というのがあります。ネット経由で注文が入るのですが、一番多い依頼は、戸籍謄本、婚姻届受理証明書、出生届・出生証明書、会社謄本などです。</p>
				<p>この方からは、これまででもっとも多くの書類の翻訳を依頼されました。ふつうは1種類で、多くても2種類です。ところが、この方からは以下のような種類の翻訳を依頼されたのです。</p>
				<blockquote><p>
				1) 職業訓練学校の修了証　　2007年6月11日<br />
				2) インターンシップの修了書　　2007年6月11日<br />
				3) 戸籍謄本　　2007年8月10日<br />
				4) 婚姻届受理証明書　　2007年8月10日<br />
				5) 技能検定合格証　　2008年1月10日<br />
				6) 会社の在籍証明書 &#8211; 2 社分　　2008年1月21日
				</p></blockquote>
				<p>これは、移住という特別な理由からでしょうか。弁護士から都度指示を受けていたようです。数年前に、オーストラリアへ移住申請に使うという日本人の寿司職人の方の戸籍謄本を翻訳しましたが、その人は2~3年がんばったようですが、言葉の壁で結局断念したようです。</p>
				<p>このイランの方は、遠いアジアの西の果てから日本にきて、建築大工の学校を卒業し、見習いでいくつかの会社のベテラン大工の下で働き、建築大工2級技能検定試験をパスし、そして2つの会社で実務経験を積んだ上で、ようやく念願のビザを獲得したのでした。その間、日本人の奥さんをもらい、お子さんができ、おそらく英語の勉強もしていたはずです。<br />
				<img src="http://www.iroha-dou.com/blog/wp-content/uploads/2009/08/CanadaVancouverForest-300x100.jpg" alt="Canada　Vancouver　Forest" title="Canada　Vancouver　Forest" width="300" height="100" class="alignleft size-medium wp-image-227" /><br />
				来年の3月に家族とともにカナダに移るとのことでした。日本とカナダとでは同じ大工といっても色々と違いがあるでしょうけれど、がんばって欲しいものです。</p>
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