昨日の雲天から今日は爽やかな晴天に変わり、気分が明るくなった。

昼食を済ませてから、リービ英雄の『万葉集 / Manyo Luster』を眺めていたら、こんな歌に出会った。今日の気分にも合っているし、春めいてきたので紹介してみよう。ごく分かりやすい歌だ。

雑歌(読み人知らず)として取り上げられた歌で、「後に梅の歌に追加した四首のうちの一首)」とある(大伴旅人の作かも、とも言われている) 。

雪の色を奪ひて咲ける梅の花 今盛りなり見む人もがも

現代語だと次のように説明されている: 

雪の白さを奪うかのように咲く梅の花、今が盛りのことよ、見る人があってほしい 。

リービ英雄の英訳: 

The plum flourishes now, 
its bloom is pillaging the white from the snow.
Oh for someone to see it!

「奪う」という語が梅の花の勢いを感じさせる。漢和辞典「漢辞海」で調べたら、「奪」という漢字の原意には、鳥が翼を張って大いに羽ばたく、という意味が含まれていた。英語の最後の部分は、ああそうやるのか、と感心した。他の和歌を見てもそうだが、日本語の簡単な解説と英語訳のおかげで、より深く歌を楽しむことができてありがたい。

万葉集 - Manyo Luster

それに加えてこの本はとても美しい。和歌と共に元歌の注釈、現代語訳、リービの英訳、そしてその歌を切り取ったかのような美しい写真で構成されている。万葉集に対するリービの気持ちがそのまま映し出されたような本になっている。判型がもう少し大きいほうがよかったかも。(でも、持ち歩くにはちょうどよいのかな!?)

彼は学生時代に、バックパックの中に万葉集の文庫本と万葉集英語抄訳のペーパーバックを入れて大和路をたくさん歩いたそうだ。そこで出会った風景の中で読んだ1200年前の人々の息吹をその肌で感じ、遠い昔のそれらをむしろ「新しい」ものと感じたそうである(『日本語を書く部屋』、リービ英雄著 ) 。

ただ、まだ初めの頃、和歌に歌われていた奈良の「山」は、実際に訪れてみると、それは山ではなく、ちょっとした丘といってもよいものだった。「雄大な川」も river とは言い難く、小さくて細い流れだった。彼は、書かれたものと現実とのあまりのギャップに心底ガッカリしてしまったのだ。だが何度も大和路を訪れ、自分で和歌を英訳することを繰り返していると、やがて古の歌人たちの「想像力」に気が付き出し、それが失望から一種の畏怖へと変わっていった、と言う。この体験を経て、彼の日本語との、日本文学との本格的な格闘が始まったのだ。

冒頭写真: 奈良市鹿野園町